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ラベル 心臓 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2018年8月3日金曜日

携帯電話の電波がペースメーカーに影響する?

電車内でよく言われている「優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい。それ以外ではマナーモードに設定の上、通話はご遠慮下さい。ご協力お願い致します。」というアナウンス。

これは元々、優先席を利用するペースメーカーをつけた人に対して配慮するためのものです。しかし研究では現行のペースメーカーに対しては、どれだけ携帯電話を近づけても、ペースメーカーの動作には何の支障も及ぼさないという事が分かっており、現在では「優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい」という部分は削除されています。またそのようなアナウンスをする目的も、現在では「不要なトラブルを防ぐため(携帯電話やスマホに対して嫌悪感を持つ人もいる)」「電車内でのマナー意識を向上させるため(何をするのも個人の自由だが公共の場)」というように変わってきています。

どうして「ペースメーカーは電波に弱い」という根も葉もない迷信が広まったのでしょうか。実は迷信とも言えなくて、携帯電話が普及して間もない頃に使われていた一部の携帯電話が発する電波が、同じく過去に使われていた古いタイプのペースメーカーの動作に影響する可能性が実際にあったのです。ただしそれでも実験では3cm程度に近づけた場合の話であり、よほどそうして近づけない限り影響は及ぼしませんでした。ただ、それが誇張された結果、「ペースメーカーは電波に弱い」と言われるようになってしまったのです。例えば放射能なんかも同じで、そういう目に見えないものに対して死の恐怖を感じるのは気持ちとして何となく分かります。ただ、テレビ、宇宙、地球内部などから発せられる電波は何故か悪く言われないんですよね・・・おそらく携帯電話が普及するにつれ、そういう「今までにはない新しいもの、分からないものに対する拒絶感」も元になっているのだと思われます。

尚、現在では技術の発展と共に携帯電話が進化してスマートフォンになり、パソコンや携帯ゲーム機も、無線LANを使えば屋外でできるようになりました。もちろんペースメーカーも外部からの影響を受けにくいものへとかなり進化しています。そもそも現在では電車内に限らず、例えば室内でテレビやパソコンを使うにしたってそうですし、自動車でカーナビを使うにしたってそうです。自分が電子機器を使っている使っていないに関係なく、ありとあらゆる場所に色んな電波が行き交っているはずです。ラジオだって電波で聞こえます。もしペースメーカーに影響を与えるのであれば、今の環境で事故が頻発してニュースになっていても不思議ではありませんは、そのような話は全く聞きません。携帯電話が影響すると言われていた時代でもそのような事故は起きていませんし、これから先もペースメーカーがどんどん進化していきますから、心配はどんどん減っていく事でしょう。
2018年5月24日木曜日

どうして心臓は勝手に動く事ができる?

心臓には「心筋」と呼ばれる特別な筋肉があります。心筋は腕や足などに存在する骨格筋と同じ「横紋筋」ですが、他の筋肉とは違って自分の意志では動かす事ができず、脳からの命令がなくても自動的に動く事ができます。これは何故かというと、心臓の中には自発的に電気信号を発する事のできる細胞が存在しているからです。通常の骨格筋にはそれがありませんから動かすには脳からの電気信号が必要なのです。ちなみにその電気信号を発する細胞の代わりとなるのがペースメーカーです。

血液は心臓で作られている訳ではなく、骨髄で作られています。その骨髄で作られた血液が心臓のポンプによって循環しているのです。また心臓を動かすためのエネルギーもその血液を通して送られているため、体のどこかで大量の血液が失われたり、心臓の血管が正常に機能しなくなると心臓の筋肉を動かす事はできなくなります。それが「心停止」です。心臓が動かなくなった時に行う心臓マッサージは元々体に残っている血液を循環させ、脳や心臓などの細胞をできるだけ延命させようとする事、電気ショックは動かなくなった心臓の筋肉に電気信号を与え、再び自発的に動かそうとする事が目的です。

尚、「心臓は自分の意志ではコントロールできない」と言いましたが、完全にコントロールされていない訳ではありません。例えば恐怖や怒りを感じたり、緊張したり、驚いたり、あるいは体調が悪化した時などでは心臓の鼓動が速くなる事がありますよね。そのように感情や体調によって心臓の鼓動の速さは変える事ができるのです。それを利用すれば、例えば意図的に恐怖体験を思い出す事で心臓の鼓動を早くしたり、深呼吸をして気持ちを落ち着ける事で心臓の鼓動を緩やかにする事もできます。すなわち心臓の動きを完全にコントロールする事はできなくても、自分の意志でコントロールしようと努力する事はできるのです。
2018年3月3日土曜日

人間は死んだらどうなるの?

人間の意識は全て脳が司っています。よって仮に心臓が止まっても、脳内に血液があればそれを使って神経細胞は生き続けます。指先や足先等から伝えられる電気信号も、その神経細胞が生きている限りは処理されます。しかし時間が経過するほどに神経細胞は死んでいくので、体から伝わる電気信号はどんどん少なくなり、その少ない信号をも処理する事ができなくなっていきます。つまり何も感じなくなる訳です。例え脳全体の機能が失われていなくても、神経細胞が生きている間は「死」と認識する事ができるかもしれませんが、そこまで行くと「自分は死んだ」という認識どころか、自分が誰で今どういう状態なのかが分からなくなります。もっと言えば「分からない」という事すら分からなくなるのです。それがその人にとっての「死」なのだと私は思います。更に時間が経過すれば、その後は燃やそうが埋めようが何をされようが神経細胞が死んでいるので何も感じません。だからと言って粗末に扱うのはもちろんいけませんが・・・。

私にとっての「死」は「無」です。よく死んだ後は霊や魂になるとか、天国や地獄に行くとか、現世を彷徨い続けるとか、閻魔大王がどうとか言いますが、そもそも前述のように「自分は死んだ」という事すら認識できないのですから私は「無」だと思っています。と言っても私自身恐怖心はあります。「死」というのは誰もが容易に経験できるものではない(事故で生死の境を彷徨う事はそうそうないので)のに、いずれは誰もが経験する事になる絶対的なものでもあるからです。来るのが分かっていて逃れられないというのはやはり怖いものです。というより地球上を探してみても、むしろ死が怖くない人の方が少ないと思いますが、世の中には「宗教」というものがあって、「死」に対する恐怖を和らげてくれます。「死」がどういうものかを考える機会なんて人生の最後の一瞬ぐらいですから、外側からでも良いので宗教を学んでみるのも「死」に対する理解が深まるきっかけになるかもしれません。

尚、私は無宗教です。宗教そのものは否定しませんが、私にとっての宗教とは、逃れる事ができない「死」のような恐怖に対する解釈を変える事で、少しでも恐怖を和らげようとするものだと考えます。何か大きな恐怖があり、それから逃れる術がない時、何かにすがってでも救われたくなるのは理解できます。しかし差し迫った恐怖がないのに、最初から宗教にすがるというのは人生においては「甘え」に繋がると私は思います。この世に神様がいるとすれば、神様は、人間が何か困った事がある度に手を差し伸べてくれるほど都合の良い存在ではありません。何か困った事がある度にただ祈っているだけで、自分からは何も行動を起こさない・何も考えないという他力本願は単なる怠慢です。時間は有限であり、その時間と戦った者にだけ手を差し伸べてくれる(・・・のかもしれないが、都合良く「手を差し伸べてくれる」等と期待している時点でそれも「甘え」。例え結果が伴わなくとも行動を起こした人には幸福が訪れ、その結果として「神様は味方した」と人間が勝手に解釈しているだけ)のです。