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2020年4月6日月曜日

ストレスを受け続けると脳が溶ける?

心身に大きなストレスを受けると、そのストレスに抗おうとして、様々な反応が起こります。その内の一つが「コルチゾール」というホルモンの分泌です。このコルチゾールは「副腎」という腎臓の上についている組織から分泌され、糖・蛋白質・脂肪の代謝を制御し、血液中の糖の量を増やしたり、ナトリウムの吸収を促し、カリウムの排出を促す事で、心臓と腎臓の機能を高め、血圧を上昇させる役割を持っています。

しかしこのコルチゾールが過剰に分泌されると、高血糖や高血圧が起こったり、免疫力が低下する事があります。またコルチゾールは脳にも作用して、記憶を整理する場所である「海馬」を萎縮させると言われています。そのため大きなストレスを受けたり、あるいは長期に渡ってストレスを受け続け、コルチゾールが分泌されると、記憶力が低下する事になります。特に新しい記憶がスムーズにできなくなります。おそらくこれは過去の重要な記憶が失われないように、新しいストレスを記憶をしないようにしているのだと思われます。

この他大きなストレスを受けると、大脳皮質にある前頭前野という場所も萎縮します。これにはストレスを受けた際に分泌されるノルアドレナリンやドーパミンというホルモンが関係しているようです。ノルアドレナリンやドーパミンはストレスを受けた時、神経伝達を促して、心身を活性化させるホルモンですが、前頭前野は物事を考える場所のため、それらのホルモンが分泌される事で、逆にストレスを大きく感じてしまいます。そのためそれらのホルモンをストップする事で、ストレスから身を守っているのです。例えば心的外傷後ストレス障害などでは実際に前頭前野や海馬の萎縮が見られます。

海馬は思春期を終える頃には成熟しています。また前頭前野も20歳前後までに成熟しているようです。もちろんその後も、新しい記憶と触れ続ける限り、両者は発達していきます。一方、加齢によって外側から少しずつ老化していくため、「新しい記憶の整理・思考」が少しずつできなくなっていきます。もちろん高齢者でも、新しい記憶があれば、その老化は緩やかになりますが、若い人でも、大きなストレスがあると、それが一気に起こる事になり、継続的なストレスではその老化のスピードが早くなります。
2020年3月19日木曜日

緊張すると何故手が震える?

緊張はストレスを感じている状態です。ストレスを感じると、そのストレスから身を守ろうとして、様々なホルモンが分泌されます。例えばセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、コルチゾール、グルカゴン、成長ホルモンなどです。これらの内、特にノルアドレナリンとアドレナリンがストレス代謝に深く関わるホルモンであり、心だけでなく体も活性化させて、向かい来るストレスにどうにかして抗おうとします。しかしストレスの大きさによっては、過剰に分泌される事があります。分泌量が多くなると、次第に制御ができなくなり、これによって手の震えなどが起こると言われています。またその際には負の感情も大きくなり、不安や恐怖などが増大されていきます。
2018年7月23日月曜日

どうして貧乏揺すりをしてしまうのか?

「貧乏揺すり」とは一定のリズムで下肢を動かし続ける事を言います。種類としては例えば爪先を上げ下げ、踵を上げ下げ、膝を左右に震わせるなどがあります。これらには下肢で起こった鬱血を解消する効果や、ストレスを解消する効果があるとされており、それを無意識の内に行っていると言われています。

人間は他の動物とは違って二足歩行を行います。心臓と足先の位置関係を考えた時、四足歩行では心臓の位置が低いため、足先にある血液が心臓まで戻ってくるのにそれほど時間はかかりません。しかし二足歩行では心臓の位置が高く足先が遠いため、血液が滞りやすいという大きな欠点があります。心臓から遠い場所ほど心臓のポンプによる血液を押し出す力は弱くなり、重力に逆らう必要があるため、心臓の位置が高い人間では血液を戻す事が難しいのです。そこで人間は心臓のポンプの代わりになる下肢の筋肉を動かす事で血流を促し、心臓まで血液を戻しています。特に座っている際には太腿の裏側やお尻にある血管が圧迫され、下肢に血液が滞りやすくなっています。つまり貧乏揺すりは理に適っている訳です。

また貧乏揺すりの原因となるストレスには様々な種類があります。例えば誰かに暴言を吐かれたり、眠い時に周囲で騒がれるのは外から与えられるストレスになりますし、自分の頭で考える通りに事が進まなかったり、自分のした言動や行動を恥じたりするのは内から来るストレスになります。そうしてストレスを感じた際に気持ちを紛らわそうとし、それが貧乏揺すりとして現れるのです。更に、実は「内外問わずストレスが存在せず、何もしていない状態」というのも人によってはストレスになります。つまり「貧乏揺すり=落ち着きがない」とは限らず、むしろリラックスしている時に貧乏揺すりを行う事もあるという事です。
2018年5月27日日曜日

恥をかくと何故顔が赤くなるの?

緊張すると交感神経が興奮状態になり、全身の血流量が増え、それによって皮膚表面への血流量も増える事になります。腕や足などの分厚い皮膚では血管が青く見えますが、これは赤い光が皮膚に吸収され、青い光を反射しているからです。一方、顔の皮膚は薄いので、増えた血液の赤みがそのまま透けます。これによって顔全体が赤く見えます。尚、その際には温かい血液が増える事でその部分の体温も上昇します。これにより「火照り」も出る事になります。
2018年5月15日火曜日

何故カルシウムが足りないとイライラするの?

血液中のカルシウムの濃度が低くなるとその分だけ骨のカルシウムを溶かして利用し、逆にカルシウムの濃度が高くなれば骨に使う事で濃度を下げます。実は普段からそのようにして血液中のカルシウムの濃度を一定に保ち、必要に応じて循環させて利用しているのです。

カルシウムは当然骨に多く存在していますが、骨以外では脳や筋肉などの神経伝達にも利用されています。ですので血液中のカルシウムの量が減ればカルシウムが必要な場所へ必要な分だけ送る事ができなくなり、神経伝達がスムーズに行われなくなる可能性があります。その結果としてイライラする事があるのです。しかし骨に含まれるカルシウムの量は非常に多いため、ちょっとやそっとカルシウムが不足したぐらいで血液中のカルシウムの量が減る事はありません。むしろ血液中のカルシウムの量が減っているような状態では、既に骨がボロボロになっていたり、筋肉の収縮がスムーズに行われず上手く体が動かせなくなっており、イライラする事よりよほど深刻な状態になっているはずです。

尚、イライラを抑えるためには神経が過敏になる原因自体を取り除くか、既に興奮状態にある神経を抑える事が重要となります。特に「その場の環境を変える(イライラさせる対象が近くにあるならば離れる、それが行動ならばやめる)事」「好きな事をして時間を忘れる(またそれを終えた後イライラする事を思い出さない)事」「糖質と糖の代謝に関わるビタミンB1を摂取する事」「抑制性神経伝達物質GABAの合成に関与するビタミンB6を摂取する事」「カルシウムの代謝に関わるビタミンDやビタミンKを摂取する事」「鉄、ビタミンB12、葉酸などを摂取する事(脳の酸欠予防)」などが重要です。これによって神経の興奮を抑え、ストレスを軽減させる事ができます。カルシウムを摂取する=全く効果がないとは決して言いませんが、微々たるものと考えるべきです。

ちなみにイライラを抑えるとよく言われるアミノ酸の「トリプトファン」ですが、トリプトファンは睡眠の深さに関わるメラトニンの材料にもなりますが、心身を覚醒させるセロトニンの材料にもなるので実はどちらとも言えません。またコーヒーなどに含まれるカフェインにも興奮作用があるので同じです。尚、アルコールはGABA受容体に作用し、イライラを軽減する事ができます。これがストレスをアルコールで埋め合わせしようとする原因の一つです。ただしアルコールには依存性があり、長期的な多飲による臓器への負担が大きいという欠点があります。健康のためにはアルコール以外でストレスをコントロールしなければならないでしょう。
2018年5月14日月曜日

どうして恐怖を感じる事ができるの?

「恐怖」というのは人間や動物が持つ感情の一つで、自分の身を守るための回避行動の一種です。「動物には理性がなく感情もない」と言われる事は多いですが、動物も恐怖や痛みといった「感情」を持っており、自分の行動を抑制する事ができます。つまり恐怖や痛みがある事で動物は「それが自分にとって危険なもの」と学習する事ができ、その危険と遭遇する前に予測し、未然に回避する事ができるようになります。更にそれによってはより長く生き伸びる事ができるようになり、後世へ子孫を残す可能性を高める事もできるのです。

恐怖心は記憶(幼少期に根付いていて自分の意志では取り出せないような潜在的な記憶も含む)と強く結びついており、自分が過去に経験した恐怖や周囲が経験した恐怖などから「危険な事」を学習し、それを未然に回避しようとします。例えば私の場合では虫の一種である蜘蛛に対して恐怖心や嫌悪感を抱きますが、それもおそらく過去の恐怖体験が関係しています。更にその経験に基づく事では蜘蛛と似ている「足が多い虫」「足がない虫(昆虫であっても幼虫を含む)」「素早い虫や音を立てない虫(ゴキブリ等)」に対しても近い恐怖心を抱きます。これは祖母や母親の影響だと思われます。一方、カブトムシ、バッタ、アゲハ蝶、セミなどの昆虫に対しては全く恐怖心がなく、成虫であれば素手で触れる事ができます。これは父親や兄の影響です。そのように同じ「虫」でもそこまで大きな差があるのは、やはり過去の恐怖体験や他者からの学習が大きく関係する事を意味しています。

尚、人間が恐怖や不安などのストレスを感じた際には、ノルアドレナリンやアドレナリンといったホルモンが分泌されます。この2つのホルモンは心身を活性化させる働きがあり、それによってストレスと対峙し乗り切ろうとする訳です。しかし分泌量が多過ぎると逆に冷静さを失い、頭が真っ白になって何も考えられなくなったり、呼吸や心臓の鼓動が荒くなって動くのも苦しくなったりします。そうしてあらゆる感情の抑制が効かなくなり、普段は温厚な人でも人が変わったように暴力的になる場合もあります。

また恐怖や不安が与えられた場合、それを与えてくる相手に対して絶対的に服従するような行動を取ったり、逆に反旗を翻し怒って暴力的な行動を取る事もあります。これも身を守るための行動の一つです。しかしどこの誰とは言いませんが、逆にそのような反応を利用して「意図的に恐怖を与えて自分に服従させる」「執拗に周囲の不安を煽って争い(自分の手を汚さずに)を誘発させる」という事を行う輩もいます。それだけ恐怖や不安というのは大きな影響力を持っているのです。

何故人は悲しくなると涙を流す?動物は流さない?

涙とは瞼の裏側にある涙腺から分泌される体液の事で、悲しい時に限らず、怒った時、嬉しかった時、大笑いした時、痛みを感じた時など、感情が高ぶった時にも出る事があります。また涙はアクビをした時に出る事がある他、花粉症や乾燥などで目が痒くなった時、目に異物が入った時にも出ます。それによって目を清潔に保つ事ができるのです。

人間は動物とは違って「悲しい時に涙を流す」事ができます。もちろん動物も自分の目を守るために涙を流す事はできますが、どれだけ頭の良い猿、鳥、象のような動物であっても感情的に涙を流す事はなく、感情の変化から涙を流すのはおそらく人間だけです。前述のように動物には恐怖という感情はあって、それに対して強く拒否するような行動を取る事はあっても悲しむ事はできないのです。これは人間とそれ以外では圧倒的に知能の差がある事はもちろんですが、生活している環境が違う事も大きく関係しています。いくら「悲しさ」を表現して相手に同情を求めても、弱肉強食の世界では相手だって生きるのに必死なのですから、そのような世界が続いている野生動物にとって「悲しい」という感情は何の意味も持ちません。意味がないからこそ「悲しい」という感情がないのです。

では、何故人間は悲しくなると涙を流すのか?についてですが、これは私は「他者へのアピール」という説が一番有力だと考えています。つまり「涙」というのはコミュニケーション手段の一つであり、文字やジェスチャーなどが存在していない時代から存在している、自分の感情を伝えようとした名残だと思っています。これがあれば相手が悲しんでいるかどうかを一発で知る事ができ、同族間の無用な争いを避け、またお互いに協力する事ができますよね。特に人類は一人で何かをする事よりも集団で何かをした方が効果的という事を学習していましたから、それを優先した結果として他者と同調するための感情が生まれ、自分はもちろん種としても生存する可能性をより高める事ができたのではないでしょうか。尚、その他では「興奮した際に生まれた物質を体の外へ排出しようとする説」「悲しみというマイナスの感情から目を背けようとしている説」などがあります。

血液型ってそもそも何?血液型で性格が分かる?

赤血球の表面には250種類以上の表面抗原(細胞の表面に存在する分子の事)があると言われており、その中にはA型抗原とB型抗原と呼ばれる抗原があります。その内A型抗原があるものをA型、B型抗原があるものをB型、両方あるものをAB型、両方ないものをO型と分類でき、この分類こそが「ABO式血液型」と呼ばれるものです。

また血漿(血液中に55%程度含まれる液体で淡黄色。尚、血清は血漿から凝固成分を取り除いたもの)にはそれぞれ抗体が含まれており、A型には抗B抗体、B型には抗A抗体、AB型には抗B抗体も抗A抗体もなく、O型には抗B抗体も抗A抗体も存在しています。これらの抗体が表面抗原に反応(例えばA型に含まれる抗B抗体が、B型に含まれるB型抗原に反応するなど)すると赤血球は集まり固まってしまいます。だからこそ同じ型の血液しか輸血できないのです。

しかし血液型にはこれとは別に「Rh血液型」という分類もあります。赤血球には薄い膜が覆っており、ここにも40種類以上の抗原があります。その内D抗原がある場合をRh陽性(Rhプラス)、D抗原がない場合をRh陰性(Rhマイナス)と呼びます。基本的に輸血の際にはABO型の一致と共にこのRhの型が一致しなければならず、Rhプラスの人にRhマイナスの人の血液を入れるとやはり固まる危険性があります。ちなみにO型には更にボンベイ型といって非常に珍しい型(A型B型AB型にはA抗原やB抗原が付くためのH抗原があるがボンベイにはなく、逆に抗H抗体を持っている)があり、この場合は例えO型とRh型が一致しても同じボンベイの型でしか輸血できません。

さて、このような血液型に関しては「A型は几帳面」というように性格に関係しているとよく言われます。しかし科学的には否定されており、血液型性格分類はむしろ何の根拠もないデタラメと言って良いでしょう。日本人の血液型はAB型(10%)<B型(20%)<O型(30%)<A型(40%)の順で多く、その内Rhプラスは99%以上、Rhマイナスは殆どいないと言われています。つまり「日本人にはA型が多いので几帳面で綺麗好きな人が多い」という事になる訳ですが、日本人に几帳面な人が多いのは小さい頃からの教育や刷り込み(「この血液型はこの性格」と言い聞かされる事も含む)、またその影響に基づく無意識の習慣や癖によるもので、決して血液型によるものではありません。その他だとB型は自己中心的でスポーツ万能、O型は大雑把で社交的、AB型は天才肌などがあります。本当にそうでしょうか・・・まぁこんな事を真剣に考えるべきではないと思いますが(笑)

もしABOの血液型が性格に関係しているとすれば、それぞれの持つ抗原や抗体が影響している事になりますが、それならRhの型に関わる抗原はどうなのでしょうか。何故「Rh型性格分類」はないのでしょうか。それに「血液型の分類(wikipedia)」にもあるように抗原や抗体は様々であり、血液型の分類はABOやRhだけではありません。この抗原や抗体は性格に関係していて、この抗原や抗体は性格に関係していない・・・なんておかしいですよね。それに赤血球はそもそも酸素や二酸化炭素を運ぶためのものであり、赤血球に含まれる分子が脳の神経細胞に広範囲に渡って影響を与え「性格を変える」など普通に考えてあり得ません。

では、血液型による性格の分類が「当たっている」と感じてしまうのは何故かというと、「不特定多数の人間に当てはまるような曖昧で一般的な記述」がある場合、「あたかも自分だけに当てはまるものとして捉えてしまう」事が関係していると言われています。そのような効果を「バーナム効果」と言います。またこの他にも「何かを信じ込んだ時、自分の考え方を肯定する情報ばかり収集するようになる(確証バイアス)」「何かを信じ込んだ時、無意識の内にその通りに行動してしまう事がある」なども関係しています。これらは風水・占い全般に言える事ですね。使い手によっては意図的にそれを狙い、相手を信じ込ませて自分の意のままに操るという使い方もできそうです。意図的でも悪意がなくても私はそれを利用した商売が大嫌いです。

ちなみに血液型によって相手の性格を勝手に判断し、その相手に不快な気持ちを与える事を「ブラッドタイプ・ハラスメント」などと呼びます。例えば「A型=几帳面・綺麗好きのはずだが、この人はA型なのにかなり大雑把で汚らしかった。この人はそういう人間なんだ」というように勝手に相手の性格を決めつけ、自分の想像と違った途端に悪口を言ったり、差別などの不当な扱いをしたりする場合が該当します。見た目と中身が印象と違うという理由だけで不当な扱いを受けるのももちろん不快ですが、そのように一方的な決めつけから不当な扱いを受ける事も不快極まりないですよね。当然トラブルの元になります。無用なトラブルを避けるためにも、占いの類は真に受けるのではなく「一種の娯楽」程度として捉えておいた方が良いでしょう。
2018年4月12日木曜日

頑張れば鬱病から抜け出せる?

●鬱病=甘え?

鬱病というのは神経伝達に関係する物質のバランスが崩れる事によって起こると言われています。特にセロトニン、メラトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどといったホルモンが関係しているとされています。これらのバランスが崩れると、神経伝達がスムーズにできなくなったり、あるいは逆に不必要に神経伝達が行われたりする訳です。それによって例えば自分の感情が抑えられなくなって起伏が激しくなったり、逆に何に対しても無感情のようになったり、またストレスに対して過敏に反応し恐怖を感じたり、逆にストレスに対して無反応になったりします。それが長期に渡って繰り返されるのが鬱病の特徴です。

人間は「脳のこの部分をこのように働かせる」という事が意識的にできるでしょうか。おそらくどんなに頭の良い人でも不可能に近い事ですよね。すなわち鬱病になってしまった原因はどうあれ、それを本人の純粋な努力だけでどうにかしようとするのは無理な話です。症状を抑えて治療を続けていくにはどうしても周囲の理解が不可欠です。しかし日本の社会においては未だに「甘え」などとして扱われており、一向に理解が進んでいません。


●心の病気と運動

個人・集団に関わらず、体を動かす事は様々な心の病気に効果があると言われています。

まずセロトニンは幸せホルモンとも呼ばれており、昼間の活動力の源になります。すなわち運動を行ってこのホルモンが分泌されれば、筋肉だけでなく脳や臓器なども活性化させる事ができます。更にセロトニンには達成感を司るドーパミン、ストレス耐性に関係するノルアドレナリンの分泌をコントロールする働きがあります。つまり運動を行ってセロトニンが分泌されるとドーパミンやノルアドレナリンの分泌バランスも整い、精神的に落ち着く事ができるのです。尚、運動はそれ自体でノルアドレナリンもドーパミンも分泌させますが、あまりに激し過ぎると逆にストレスが大きくなってしまいます。そのバランスが非常に重要です。いくらセロトニンを分泌させてもドーパミンやノルアドレナリン、その両方または一方が過剰分泌あるいは極端に減少してしまったら意味がありません。運動だけに頼ったストレスコントロールはNGです。

続いてセロトニンから作られるメラトニンは睡眠導入ホルモンで、睡眠の質を高める事ができます。つまり運動を行ってセロトニンが分泌されればメラトニンも釣られて分泌され、自然と深い睡眠を摂る事ができるようになります。ただし遅寝・毎日寝起きの時間がバラバラ・3時間程度の睡眠等では意味がありません。規則正しい睡眠を心がけましょう。更にそのメラトニンは男性ホルモンや女性ホルモンの分泌もコントロールする事ができ、両方または一方が過剰分泌あるいは極端に減少する事を抑える事ができます。男性ホルモンが正常に分泌されれば筋肉が発達しやすくなり、女性ホルモンが正常に分泌されれば脂肪の代謝が適切に行われます。それにより外見も健全になり、男性は男性らしく、女性は女性らしくなります。

そして心身にストレスがかかると血糖値が上がりやすくなります。これは成長ホルモンやグルカゴンといった血糖値を上げる働きのあるホルモンが、ストレスをきっかけにして分泌されるからです。つまり心の病気でストレスコントロールができていない人では、例え糖の多い食事をしなくても血糖値が上がりやすい状態になっているため、その状態で食事をすれば必要以上に糖を体の中に取り込む、または取り込めずに血中に溢れさせる事になります。余った糖は脂肪になり、また細い血管を詰まらせます。しかし適度な運動を行ってセロトニンが分泌されていれば、前述のストレス耐性に関わるノルアドレナリンが適切に分泌されており、それによってストレスを以前より上手くコントロールする事ができます。つまり運動によるストレスは「自然なストレス」と言え、ストレスコントロールによって血糖値もコントロールする事ができるようになります。

更に、運動で筋肉にストレスを与えると筋肉は成長して大きくなり、糖の代謝が上がります。筋肉は糖を蓄える事ができ、その糖をエネルギーにして動かします。つまり筋肉を大きくする事ができれば筋肉が糖の逃げ道になる訳です。また前述の血糖値を上げるグルカゴンは血糖値を下げるインスリンを分泌させるきっかけになるため、インスリンが正常に分泌されればますます血糖値のコントロールが容易になります。血糖値がコントロールできれば、もちろん限度はありますが、多少食事の量を増やたとしても肥満や糖尿病等を予防できます。尚、インスリンは糖と一緒にアミノ酸を細胞へ取り込んでいます。それによって筋肉の成長をサポートする他、余ったアミノ酸は脂肪になるためやはり肥満予防に繋がるはずです。

このように運動を行う事は心身にとって良い事だらけです。運動は家の中で誰にも見られる事なく自分の体さえあればできます。ただし前述してきたように運動、食事、睡眠は全て繋がっており、どれか一つ改善しても意味はありません。また運動をする事も万能ではありません。自覚があるない関係なく、気分が沈んでいるなら無理をせずに家族やお医者さんに相談しましょう。
2018年3月3日土曜日

人間は死んだらどうなるの?

人間の意識は全て脳が司っています。よって仮に心臓が止まっても、脳内に血液があればそれを使って神経細胞は生き続けます。指先や足先等から伝えられる電気信号も、その神経細胞が生きている限りは処理されます。しかし時間が経過するほどに神経細胞は死んでいくので、体から伝わる電気信号はどんどん少なくなり、その少ない信号をも処理する事ができなくなっていきます。つまり何も感じなくなる訳です。例え脳全体の機能が失われていなくても、神経細胞が生きている間は「死」と認識する事ができるかもしれませんが、そこまで行くと「自分は死んだ」という認識どころか、自分が誰で今どういう状態なのかが分からなくなります。もっと言えば「分からない」という事すら分からなくなるのです。それがその人にとっての「死」なのだと私は思います。更に時間が経過すれば、その後は燃やそうが埋めようが何をされようが神経細胞が死んでいるので何も感じません。だからと言って粗末に扱うのはもちろんいけませんが・・・。

私にとっての「死」は「無」です。よく死んだ後は霊や魂になるとか、天国や地獄に行くとか、現世を彷徨い続けるとか、閻魔大王がどうとか言いますが、そもそも前述のように「自分は死んだ」という事すら認識できないのですから私は「無」だと思っています。と言っても私自身恐怖心はあります。「死」というのは誰もが容易に経験できるものではない(事故で生死の境を彷徨う事はそうそうないので)のに、いずれは誰もが経験する事になる絶対的なものでもあるからです。来るのが分かっていて逃れられないというのはやはり怖いものです。というより地球上を探してみても、むしろ死が怖くない人の方が少ないと思いますが、世の中には「宗教」というものがあって、「死」に対する恐怖を和らげてくれます。「死」がどういうものかを考える機会なんて人生の最後の一瞬ぐらいですから、外側からでも良いので宗教を学んでみるのも「死」に対する理解が深まるきっかけになるかもしれません。

尚、私は無宗教です。宗教そのものは否定しませんが、私にとっての宗教とは、逃れる事ができない「死」のような恐怖に対する解釈を変える事で、少しでも恐怖を和らげようとするものだと考えます。何か大きな恐怖があり、それから逃れる術がない時、何かにすがってでも救われたくなるのは理解できます。しかし差し迫った恐怖がないのに、最初から宗教にすがるというのは人生においては「甘え」に繋がると私は思います。この世に神様がいるとすれば、神様は、人間が何か困った事がある度に手を差し伸べてくれるほど都合の良い存在ではありません。何か困った事がある度にただ祈っているだけで、自分からは何も行動を起こさない・何も考えないという他力本願は単なる怠慢です。時間は有限であり、その時間と戦った者にだけ手を差し伸べてくれる(・・・のかもしれないが、都合良く「手を差し伸べてくれる」等と期待している時点でそれも「甘え」。例え結果が伴わなくとも行動を起こした人には幸福が訪れ、その結果として「神様は味方した」と人間が勝手に解釈しているだけ)のです。