メッセージボード

※当ブログを応援して頂ける方はクリックだけでもお願いします→通販サイトAmazon

2018年4月8日日曜日

筋トレは回数を重ねれば良い訳ではない?

中学以降の男子の間では「お前腕立て何回できる?」「お前懸垂何回できる」などと、筋トレの回数を競う人が出てきます。これはテレビの影響で「筋トレの反復回数が多い=凄い」という印象を持っている男子が多い事が理由なのですが、実はそんな事はありません。確かに筋力のある人とない人ではある人の方が回数を重ねる事ができるでしょうが、たくさん回数を重ねられるのはそもそもその筋トレが「筋肉への負担が小さい」からであり、また「筋肉への負担を最小限に抑えた体の使い方で筋トレをしている」からです。つまりその人の体重、追加する重り、体の使い方次第で筋トレの回数を増やす事ができるため、筋トレの回数=凄いとは直結しないのです。

また筋肉を大きく成長させ、筋力を向上させていくためには、筋肉に対して一定以上の負荷をかける必要があります。大きな負荷があるからこそ、その負荷から体を守ろうと筋肉を成長させるスイッチが入るのです。更に「筋力」というのは「瞬間的に大きな力を発揮する能力」の事であるため、それを鍛えるには短時間で効果的に行う必要があります。つまり何十回も回数を重ねられる場合、筋肉への負荷が足りておらず、そのために効率の良い筋肉の成長及び筋力の向上は望めない他、筋トレ自体の時間が長くなってしまい、筋力を向上させるという目的も果たせないため、とても効果的な筋トレとは言えないでしょう。

この「筋トレ何回できる?」は、学生が体に関する間違った認識を身につける最初のきっかけだと私は思います。特に中学以降の部活動ではそのような指導が行われる事が多く、筋トレの回数を重ねるほど努力をした気になり、それを乗り越えないと努力をしていないと思い込まされてしまいます。その刷り込みはその後の勉強の方法や仕事の覚え方にまで影響を及ぼし、何事も反復する事が大切なんだと考えてしまいます。何十回と反復し何かが身についた結果、それを誰かに評価して貰えれば本人や周囲はそれで良いのかもしれませんが、時間は有限なのです。他に効率の良い方法があるのに、わざわざ効率の悪い方法を実践しそれで結果が出ても、失われた時間は決して帰ってきません。一方、逆に回数を重ねた結果として誰にも評価されなかった場合も、「自分は才能がない・やる気がない」等と思い込む事にも繋がり、自分の内側で考え込むための時間に使われてしまうのです。それもこれも「回数を重ねる=努力をしている」という固定概念があるからであり、これこそが世の中の廻りを悪くしている根源だと私は考えます。視野を広げ、時間を有効的に使うべきです。

もし筋トレをして筋肉を大きくしたいのなら、1セット10回前後をギリギリ反復する事ができるような負荷の大きさ(ダンベルなどの重さの事)に設定し、インターバル(1~2分程度)を挟んで、それを3セット程度行いましょう。ただ、それは基本的な方法であり、例えば1セットごとに負荷を小さくしていったり、逆に大きくしていったり、奇数セットの真ん中が頂点になるようにしたり、重い負荷と軽い負荷をインターバルを少なくして交互に行ったりなど、様々な方法があります。そうして同じトレーニングメニューでも、異なる方法で行う事で、筋肉に常に新しい刺激を与える事も重要になります。